ウミガメ保護に潜む思惑

大国の経済制裁-ウミガメ保護に潜む思惑

べっ甲はメガネのフレーム素材としても歴史が古く、べっ甲細工は日本の伝統工芸の一つでした。

べっ甲の歴史は古く、正倉院の御物として保存されている琵琶や箱にもべっ甲細工による
装飾が施されています。

日本国内では江戸時代初期にべっ甲の加工技術が根付いたといわれ、徳川家康もべっ甲の
眼鏡を愛用していたそうです。

べっ甲の材料はウミガメの一種のタイマイの甲羅ですが、日本の近海でとれるものは
ごく小さかったため、インドネシアやカリブ海などの南洋方面から輸入されていました。

しかし、ウミガメはワシントン条約のⅠ種に指定されたことにより、輸入を禁止されて
しまいました。

そのため日本のべっ甲産業にも大きな打撃を与え、業界では輸入が禁止されて以降、
不況の影響もあり、零細企業を中心に倒産、廃業が相次ぎ、10年前には全国で
約1300人いた業界の従業員数は、平成10年度には約540人にまで減ってしまいました。

ワシントン条約は、1973年、天然資源の永続的な利用を目的とする国際条約として制定され
絶滅の危機にある動植物を3段階に分け管理しています。

特にⅠ種へ分類されると「絶滅の危機にある」とされ、一切の商取引・国際取引ができなく
なります、それを決めるのは加盟国の多数決ですが、ウミガメはアメリカの強い要望で、
すべでの種が1種に指定されました。
しかし、本当にウミガメも絶滅の危機にあるのでしょうか。

そんな疑問が、平成13年1月14日放送のTBS・報道特集
「大国の経済制裁-ウミガメ保護に潜む思惑-」の中で取り上げられていました。

番組の冒頭では、アメリカがアセアン諸国にウミガメ保護を目的として
「エビ漁には、ウミガメ混獲防止装置 (TED)を漁船に装備すること、さもなければ
アメリカにエビ輸入を禁止する」と一方的に通告したことを紹介。

海産物の中でエビの輸出量が40%を占めるというタイは、年間660億円の損害となり
タイ経済にも深刻な影響を与える計算になります。
また、TED搭載による負担により、もともと裕福ではない漁師たちの年収がさらに
2割も減ることになってしまいます。

そもそもタイには、草食のアオウミガメは生息していますが、アメリカが保護の対象としている
ウミガメは生息していません。
しかもタイで行われている小規模な漁法ではウミガメが網に掛ることはほとんどなく、
エビ漁師たちは、「アメリカの通達は完全な言いがかりであり、きちんと調査をしてほしい」
と理不尽なアメリカの言い分を批判していました。

また、タイでは、ウミガメの調査や産卵場所の保護、人工孵化場の設備など、国をあげて
ウミガメの保護に取り組んでいます。

一方、アメリカ国内でも、ウミガメの死の原因がエビ漁師に押し付けられTEDの搭載義務と
厳しい取り締まりがあります。

しかし、実際は網にウミガメが掛ったのは10年間で3頭、その程度で絶滅の危機につながるのか
TEDを推進する動物保護団体に問い合わせても取材拒否。
そこでその団体に様々なデータを提供している科学者を取材しました。

ウミガメの死骸が海岸に打ち上げられる数が、エビ漁期とともに増加しているとの
データを提示しましたが、海流との関係や死因の不特定など、そのデータの信憑性に
疑問が残されています。

また、そのデータ自体がウミガメの生息数の多さを物語る、とみる生物学者もいます。
「捕獲率からアカウミガメの個体数を割り出したデータでは、70~90年代後半にかけて
2.7倍になったことが分かりケンプヒメウミガメも33倍に増えています。」
TED義務化以前からの保護活動により個体数回復がはじまり、そのデータもなんらかの
圧力により公表されなかったことを証言しておりました。

―ウミガメの生息状況をめぐって様々な議論があるにもかかわらず、義務化されたTED。
しかも、アメリカ政府は、その国内法をアセアン諸国へ強要した。
何故そこまでウミガメの保護に強い姿勢で望んだのか。―

この背景にはアメリカが敵対国として経済封鎖しているキューバの存在があったと
指摘する人物がいます。

ワシントン条約の事務局長を務めていたラポワント氏は、ウミガメのⅠ種指定に異論を
唱え続けたため、アメリカ政府によって解任されました。

「キューバは、ウミガメの管理・運用に関して各国の模範となるすばらしい計画を作っていました。
これは人とウミガメの両方をケアするものでした。

しかし、アメリカ政府は他の途上国への資金援助をネタに圧力をかけていたんです。
わが国の立場に賛同してくれなければ、あなたの国へ振り分けられる援助が少なくなりますよ、
と脅していたのを私は実際に目撃したことがあります。」(ラポワント氏)

ラポワント氏は、キューバに対する経済封鎖の一環として、ウミガメがワシントン条約の
Ⅰ種に祭り上げられたという。

実はウミガメはキューバにとって、外貨獲得のための貴重な資源でした。

キューバ共和国は、革命によりアメリカの傀儡政権をたおして以来、アメリカから
敵対国とされています。

革命直後から環境保護に取り組み、天然資源の利用は経済封鎖の中でキューバ政府に課せ
られた命題でもありました。

中でも、ウミガメは貴重なタンパク源として食用になり、甲羅はべっ甲という
外貨獲得の要になっていました。

べっ甲は日本との取引きだけでも、年間2億円の収入になっていました。
ところが、1990年、キューバがワシントン条約へ加盟すると、アメリカは取引き先である
日本へ圧力をかけ、92年に輸入を禁止させました。
それ以降、キューバは漁師の転職の推進や、漁区の制限をやむなくされました。

現在、キューバでは伝統漁や食文化の継承目的と、輸出再開の為のデータ蓄積・調査目的の
ウミガメ漁を行っています。

しかも、未成熟なウミガメを獲らないため、期間や網の大きさが法律で細かく規定されています。
ウミガメが捕獲されると、政府から生物学者が派遣され、生息状況を明らかにして、輸出を
再開するためDNAを採取し分布範囲や生息数を割り出します。

べっ甲の取引を禁止されて以来、捕獲される全てのウミガメでサンプルを採り研究が続けられ
他国では得がたいデータも集めら、蓄積された科学的データは世界中の研究者にとって
重要な情報になっています。
また、膨大な量の科学的データが蓄積される一方、倉庫には8トンものべっ甲が保管されています。


「我々は、科学的な調査に基づいてウミガメは増えているという報告を出しているのです。
しかし、それを信じてもらえず絶滅の危機にあると言われるのですから…」(生物学者)

「べっ甲の輸出禁止には科学的根拠がありません。我々のプロジェクトはタイマイの種の
存続にまったく影響を与えていませんし、商取引が再開されても、ダメージはないと
確信しています。」(漁業省管理責任者)

ワシントン条約会議に提出され続けるキューバの調査報告…。
しかし、事態は変わりませんでした。

アメリカは、べっ甲の商取引が再開されると捕獲数が増え、タイマイの生息数が激減する
と主張しています。

しかし、キューバがタイマイを捕獲した数を年代順に表したグラフと、周辺国で調査された
産卵数を重ね合わせると、キューバが捕獲制限を行う前から増加していることがわかります。

こうした調査結果から、2000年4月のワシントン条約会議では、輸出再開へ賛同する国が
過半数を上回りました。
しかし、3分の2の可決ラインには、わずか4票差で及びませんでした。

2000年夏、取引のあった日本のべっ甲業者たちが、タイマイの養殖研究施設の見学のため
キューバを訪問しました。

べっ甲協会の元副会長、佐久間一氏は必死になって日本の伝統文化を守ろうとしています

東京・新小岩にある佐久間さんの工房では、日本が輸入を停止した92年以来、今まで
備蓄した原料と過去の端材によって作業が行われています。
しかし、13人いた職人も今は2人だけとなり、現状では後継者も育てられない状況です。


ワシントン条約では人工繁殖に成功すれば、3代目からは商取引ができるとされていますが
欧米を中心とする研究者たちの見解では、ウミガメは成熟するまで50年近くかかるため
養殖は不可能とされています。

キューバのウミガメ養殖研究センター設立は、そうした説を覆す目的もこめられています。

実は、キューバにワシントン条約への加盟を勧めたのは日本のべっ甲業者たちでした。
ウミガメの取引を国際的な場で認めてもらおうとの意図があってのことでしたが、
キューバが加盟した2年後、それまでべっ甲の取引禁止を留保していた日本は、
自動車の貿易摩擦を盾にしたアメリカに屈し輸入を打ち切ってしまいました。

「正直言って申し訳ないなという気持ちが一番あります。と同時に日本人として恥ずかしいと。
なぜならキューバは留保をしているが輸出ができない。それでも漁業省・環境省・外務省、
一丸となって取り組んでいる。本当に日本人として恥ずかしい思いだ。」(佐久間氏)

大国の思惑に封じ込められたキューバ。
だが、ウミガメ保護という武器は、その大国自身の足元に思わぬ形で跳ね返っていた―


この番組ではじめて、ワシントン条約のウミガメ保護にまつわるいきさつを知ることができました。
以前には番組製作者のジン・ネットに全編掲載されていましたので、紹介することができました。
当店と取引のあるべっ甲フレームを取り扱う会社の社長も、この番組内容の緻密な取材と正確さに
大変 感心されていました。

眼鏡業界にも深くかかわるこの問題ですが、近年の中東情勢に見られるようなアメリカの暴走を憂いている方も多いと思います。

注:この記事は2003年1月に旧勤務先Webサイト上に書いた記事です。